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上海空港 | ドイツ | ドイツ | スイス | スイス | スイス | フランス | フランス |
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ローテンブルグから、バスにて一路フュッセンへ 夕方、18時半くらいにホテルに到着しました。 ホテルで夕食。その後、外にでてみました。 ドイツの7時・8時は、まだ日が暮れません。 それでも、9時くらいになると、薄暗くなってきました。 ホテルの前には、きれいな湖があり、 ロケーションは、最高です。 |
ホテル アルペンブリック | ||
09.8.5 夕方 午後9時半頃 | ||
09.8.5 夕方 午後9時半過ぎ頃 | ||
09.8.6. 朝 |
3日目、8月6日 ホーエンシュバンガウへ向かいます。 ここには、あの有名なお城 ノイシュバンシュタイン城があります。 バスで約1時間。 また、我が愛するバイエルン国王ルートヴィヒ二世に会えるかな・・・ あの美しい城を建てたルートヴィッヒ二世、 本当に精神病だったのかしら・・・ 私の考え・・・きっと、精神病だとされてしまったのではないかしら・・ 誰に? 勿論、家来達に・・・と、思う。 |
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彼は、1845年8月25日、バイエルンの首都ミュンヘンで王位継承王子として生まれました。 幼児期、母や召使いや素朴な山村の農民達に囲まれ、ホーエンシュヴァンガ城ですごしました。 この城のドイツの伝説を描いた壁画は、王子のロマンチックな感性を魅了しました。 彼の側には、彼の本心や感情をうち明けられる人がいませんでした。 そして、彼は次第に、実生活から離れた自己の世界にのめりこんでいくのです。 ロマン主義に心酔する王子は、文学・演劇・詩の世界を愛し、 凡俗な世界から離れ、美しい精神の楽園に逃げ込むようになりました。 16歳の時、ワーグナーのオペラに出会います。 それから、すっかりワーグナーの虜となり、全ての作品や、出版物を手に入れました。 |
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バイエルン王マックス二世が亡くなり、ルートヴィッヒは、18歳で王になりました。 彼は、大学で勉強した訳でもなく、政治的出来事などを視察する機会も与えられていませんでした。 でも、彼は王の仕事を熱心にこなしました。 彼の心酔する、ワーグナーもミュンヘンに呼ばれました。 ルートヴィッヒは、ワーグナーに金をつぎ込みました。 お陰で、ワーグナーは、金の心配をすることがなくなり、今残ってるような 素晴らしい作品達を作ることができたのです。 しかし、国民や、王家の者達は、いっぱい金を使わすワーグナーを嫌いました。 「何ヶ月もの間太陽を曇らせ、我々の田畑を食い尽くしてしまうあのイナゴの大群としか比べようがない。」 とまで、言ったそうです。 王は、なくなく、ワーグナーを追放しました。 |
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ルートヴィッヒ二世は、結婚もしていません。 一度、婚約しましたが、断りました。 ルートヴィッヒが唯一人、友情関係を持てたのは、従姉妹のオーストリア王妃 エリザベートとだけでした。 |
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内向的な彼は、どんどんとひとりぼっちになっていきました。 遠乗りや散歩の途中、いつも美しいと思っていたホーエンシュヴァンガウ城から そんなに離れて居ないところに城を建てようと思いました。 城の建設には、17年間もかかったのですが、一度も完成はされませんでした。 今も、未完の所が多いらしいです。 戦争などもあり、ルートヴィッヒ二世は、ますます世の中が嫌いになりました。 そんな中、王は城の建設に精神を集中させていったのです。 グラースヴァングタール城・キーム湖に浮かぶヘレン島の豪華なヘレンキームゼー城 等も着工されました。 |
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そんな王に国民も王家の人たちも敵対心を持つようになりました。 1886年、バイエルンを恐慌が襲いました。 王家の人たちは、王に豪華な城建設にいる費用を切りつめるよう言いました。 また、一方で王の換気に触れた伯爵と政治家の一団が集まり、相談しました。 相談の結果、医師に診断書を書かせ、「王は精神病だ」と、発表したのです。 4人の医師が「王は精神病だ」と、診断書を書きました。 でも、この4人の医師達がルートヴィッヒを診察したことは、一度もなかったのです。 |
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1886年6月13日の午前T中、王は、 グッデン医師と庭園内の散歩に出かけました。 30歩ほど離れて看護人2人があとに歩きました。 夕方遅く、王はもう一度、散歩に出かけたいと言いました。 そして、グッデン医師と2人で出かけました。 このとき、グッデン医師は、監視人2人が、後に続こうとすると、 手真似で付いてこないよう合図したのです。 二人は湖畔へと続く木々のトンネルの中に姿を消しました。 夜8時になっても二人は帰ってきません。 見張り番達が庭園内を探し回りましたが見つかりません。 城中の職員全員が探し回りました。 午後11時を少し過ぎた頃、二人は発見されました。 二人は、湖で溺れ死んで水中に浮かんでいたのでした。 |
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ルートヴィッヒ二世の死を追悼する シュタンベルク湖の十字架 |
ノイシュバンシュタイン城、 逆光で暗くなってしまいました。 | |
ノイシュバンシュタイン城は、外壁工事のため、その美しい姿を隠していました。 | |
一体に霧がかかり、ロマンティックです | |
ノイシュバンシュタインからみた風景 黄色い城がお父さんの城、ホーエンシュヴァンガウ城 |
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木陰から正面が見えてきました | |
この橋から上の写真は撮った | 城の窓からの景色 |
入場時間を待つ人たち | 行きも帰りもすたこら、歩いて・・・ 馬車に乗っても良い |
城の中は撮影禁止のため、パンフレットより | 城の中には、人口の洞窟がある |
これが、父の城 ホーエンシュヴァンガウ城 | 5月の広場 |
長い坂道を降りてバス乗り場まで帰った。 坂道は殆ど一本道なのだが、降りてくると土産物屋や、ホテルなどで 賑わったところである。 この5月の塔を見て、右に折れるとバス乗り場だ。 バスに乗り、添乗員さんが人数を数えると1人足りない。 あるご夫婦のご主人が見あたらない。 奥さんと、添乗員さんが、今来た道、その周辺を急いで探したが見あたらない・・・・ 前もって「もし、迷子になったら、私の携帯か、ドイツの会社に電話してください」と、教えてもらっていたが、 74歳のご主人だし、日本国内ではないし、ちょっと無理だったかも・・・ 20分探しても見つからなかった。 仕方なく、みんなでグループに分かれ、探すことになった。 みんなの力は偉大です。 有志約20名くらいで、5人ほどづつに別れ、あちらこちらと探していると、見つかったのです。 例の5月の塔の所で、曲がらずにまっすぐ、行ってしまったそうです。 やれやれ。 添乗員さんもやれやれだったことでしょう。 |
バラ公園から、見下ろす景色。 上の事件で時間不足となり、ここは、5分間の撮影タイムのみと なりました。 みんな、走ってバラ公園内を駆け抜け、 写真を撮って走ってバスに帰りました。 |
バラ公園の中 アベックなども居る中、日本人の30人が走って入ってき、 走って出ていった・・・・・おかしいよね、きっと。 |
ドイツは、これにておわりです。 次は、スイスへと向かいます。 ドイツ語 でありがとうは、 「ダンケシェン」 |